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「永遠のマリア・カラス」

地方に住んでいますとなにせ会場が遠いのと、オペラ公演を観にけるほど経済的余裕はありません(こっちが本音か)ので

 

どうしても映画館でのライブビューイングかテレビ放送で楽しむことになります。

 

それにしても最近震えるほどの感動を受ける舞台に接していません。

 

 

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では映画「永遠のマリア・カラス」はどうでしょう。

 

話はこうであってほしいという監督・脚本:フランコ・ゼフィレッリのフィクション、

 

晩年のカラスをよく似た女優が歌はクチパクで演じるといういかがわしい映画のはずが、

 

カラスの歌声が聞こえ始めると女優のはずが本物のカラスに見えてくるから不思議です。

 

舞台で演じたことのないカルメンの場面では完全にカラスのオペラになっています。

 

まさにディーバですね、

 

これはゼフィレッリの想像力の賜物です。

 

ほとんどが嘘でも声さえ本物ならカラスはよみがえる、観客に感動をあたえられるという確信だったのでしょう。

 

実際、映画は期待通り成功を収めたのです。

 

 

結局、今日のオペラに飽き足りなければ、カラスのレコードを聴くことになります。

 

 

ただ、ドラマではまるで日本公演の失敗が引退の理由のようになっていますが、1974年にはエネルギーのほとんどをアメリカ公演に費やしています。ゼフィレッリのアジア差別には不愉快なシーンが多くあります。

 

 

 

 

「磁力と重力の発見」山本義隆

磁力と重力の発見

 

 

 

 最近の理科系を目指す大学生、高校生、あるいは予備校生にそのこころざしの動機を尋ねると、

 

山本義隆さんの「磁力と重力の発見」を読んで物理学や数学の面白さを知ったから、と答える者が何人かいた。

 

驚くと同時に深い感銘を受けた。

 

「へえ~まるで現代の吉田松陰先生や、著者冥利に尽きるやろ」と

 

そのうれしさに10年前の本を持ち出してあらためて再読した。

 

この「磁力と重力の発見」三巻本は別巻の「熱学思想の史的展開 熱とエントロピー 」合わせておそらく歴史に残る名著となろう。

 

わたくしの個人的読書経験では、

 

世界は違うが、プルーストの「失われた時を求めて」、ドナルド・キーンの「日本文学史」、塩野七生の「ローマ人の物語」読後の戦慄に近い興奮があった。

 

若い人に記憶してほしいことは、本の内容もさることながら

 

わたくしは現代の吉田松陰と例えたが、実際山本義隆氏は28歳で松陰同様社会的に抹殺され、なおかつ62歳で復活しこころざしを遂げたことである。

 

歌人道浦母都子さんは2003年11月の朝日新聞書評で『磁力と重力の発見』毎日出版文化賞受賞の印象をこうあらわした。

 

 

 その本をまだ読んではいない。

 それなのに、光沢のある白いカバーに包まれた三冊の本を、机の上に置いただけで、心安らぐ気がした。ブラインドを透かして机上に射し込む秋の光が、ゆらゆらと揺れ、白い三冊の本が海に浮かぶヨットの帆のようにさえ感じられた。

 本の名は、山本義隆著『磁力と重力の発見』(みすず書房)。「古代・中世」「ルネサンス」「近代の始まり」の計三巻である。

 書名を目にしたのは新聞の広告欄だった。山本義隆著とあったので、ふっと気になり、切り抜きをしておいた。

 しばらくして、書評を読み、あらためて確信をした。そして、何とかして、あの本を手に入れなくては、と何軒かの書店を訪ねた。

 探しあぐねて、出版社に直接申し込み、宅配便で届いたのが、手元の三冊である。

 山本義隆なる、なつかしい著者名は、私の記憶を三十五年前へとさかのばらせてくれた。

 

                   ヨット

 

 

 

そして著者本人は、序文でこう書いている。

 

もとより著者は、物理学の教育のみを受けた一介の物理の教師にすぎず、それがこのようなことを言えば大風呂敷のそしりは免れないし、そもそも本書の執筆それ自体が、僭越をとおり越してほとんど無免許運転にも近い無謀であることは重々承知している。

 

さて、本文である。

 

「磁石や琥珀がものを引きつける」という不思議な現象を人々はどう説明したのか、

 

ただただ磁力と重力について紀元前ギリシャ時代から十七世紀まで歴史はどう語ってきたのか、

 

丹念に執拗に探っていく、

 

それはまるで広い砂浜で「磁石」という砂粒を探すという気の遠くなる作業であったろう。

 

すると「磁石」という砂粒ばかりか、砂浜の形や風紋が鮮やかに見えてきた、ということなのだろうか。

 

結局のところまったく新しい西洋通史、わけても「哲学史」「宗教史」を語ることになってしまったのである。

 

例えば、「暗黒の中世史」と呼ばれた時代さえ異端と呼ばれた魔術師や技術者たち、歴史に登場しないいわゆるアウトサイダーの証言を集めれば、「光ある中世史」によみがるという次第である。

 

一介の物理の教師がフリードリヒ2世の「平和思想」を、トマスアクィナスの「スコラ哲学」の核心を、実に正確に簡潔に語るのである。

 

クライマックスは第3巻、ケプラーニュートンの発見の意外な秘密をを語ることになる。

 

恐るべき博識というべきである。

 

 

そもそも山本先生はどうしてこんな研究にのめりこむようになったのか?

 

ケプラーを読んでいると「重力」を論じるにあたってしきりに「磁力」「磁力」とくり返されているのにゆきあたり、非常に奇異な気がした。

 

通説のようにニュートンガリレオデカルトとひとまとめに機械論哲学の提唱者としてくくるのは無理があるのではないか、

 

という疑問に自問自答しようとしたのだと言う。

 

その間なんと20年、ラテン語を学び、国会図書館に通い、神田で古書を買い漁り、独学した。

 

そして、これまで20年間にわたって抱き続けてきた疑問にたいして私なりの回答を与えることができたと思う、と結んでいる。

 

小林秀雄が「本居宣長」でいう学者とはこういう人を呼ぶのであろう、と感嘆した。

 

 

 

 

 

映画「レヴェナント」タルコフスキーへのオマージュ

 

 

アカデミー主演男優賞受賞、アカデミー監督賞の2年連続受賞、3年連続の撮影賞受賞、本来なら作品賞も獲るべき2015年最高傑作、この話題の映画について語られていないレビューです。

 

イニャリトゥ監督ほど過去の名監督研究に熱心な監督はいません。

前々作の「ビューティフル」では黒沢監督の「生きる」に刺激を受けたと語っていました。

前作の「バードマン」では全編ワンカットかと見紛うほどの長回し

長回しの達人としてはヒッチコックデ・パルマが有名ですがこんなワンカットは前代未聞。

イニャリトゥ監督やってみたかったのでしょうね、難しい作業だったでしょうに。もちろん物語の展開、その緊張感の持続で大成功をおさめたのです。

日本では三谷幸喜さんがテレビドラマで2本やっています。

 

では「レヴェナント」での挑戦はなに?

もちろんル・ルベツキの美しい映像、ディカプリオの怪演は話題ですが、

わたしにはタルコフスキーへのオマージュと見えたのです。

まずオープニングの美しいせせらぎ、たしかタルコフスキーの「惑星ソラリス」がこんな映像でした。林の立木は「ぼくの村は戦場だった」の森のイメージ。

主人公グラスの妻を回想するシーン、妻の胸から小鳥が飛び立ちますが、タルコフスキーの「ノスタルジア」でマリア像から鳥の群が飛び出すシーンがあります。協会の廃墟は「ノスタルジア」の廃墟を思い出させます。

極めつきはタルコフスキーならの空中浮遊シーン。

まさか、とは思いましたが、グラスの妻が空中浮遊しています。

いま一度DVDで確認してみてください。

あえて幻想的なカットをモンタージュすることで作品に深みを与えている、イニャリトゥ監督の高い映画技術の証左でしょう。

 

「レヴェナント」の挑戦、もう一つは「インディアンの誇り」です。

ヨーロッパ人がアメリカを征服する前、先住民としてのインディアンは600万人いたといわれていますが、現在は270万人前後です。

先住民インディアンの減少はヨーロッパ人との土地をめぐる戦争にもよりますが「見えない弾丸」といわれるヨーロッパ人の持ち込んだ病原菌による病死が多かったといわれています。

舞台は1823年のアメリカ北西部、この年「モンロー宣言」が出て、先住民抑圧が合法化された象徴的な年です。

映画ではステレオタイプの野蛮なインディアンとして描いていません。堂々とした誇り高いインディアンたちです。

映画の中ほどで現れるインディアン女性はポカホンタス像に似ています。

この映画の後では、もはや従来の西部劇は作られないでしょう。

インディアンをネイティブアメリカンと呼称しますが正しくは「ファーストネイション」でしょうし、インディアンは誇り高い呼称でもあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナイトマネージャー」BBCドラマ化への期待

ル・カレのスパイ小説、『ナイト・マネジャー』がBBCでドラマ化されました。

アマゾンプライムビデオで全8話が視聴できます。

 

 

ナイトマネージャー

 

 

巨匠ル・カレの作品の多くは最高のスタッフ、俳優で映画化されそれぞれ傑作と評判は高い。

寒い国から帰ったスパイ(1965年)

ロシア・ハウス(1990年)

テイラー・オブ・パナマ(2001年)

ナイロビの蜂(2005年)

裏切りのサーカス(2011年)

 

しかしそれでも、どの映画もル・カレ小説の濃密かつ気品のある文章世界が表現できているとはいえない。

 

ル・カレファンの高望みなのだろうが、とても映画2時間半という制限の中で実現できるはずがなかったのである。

 

さいわい今回、BBCのドラマ『ナイト・マネジャー』は8話構成、物語もル・カレ小説のなかではシンプル。

 

映画化された過去の作品以上にル・カレの世界が描かれているのでおおいに期待していい。

 

 

 

 

 

スイスの名門ホテルのナイト・マネジャーであるジョナサンは、吹雪の夜に訪れた武器商人のローパー一行を見て、忘れ難い過去を思い出した。ローパーこそ、彼が愛した女性を死に追いやる元凶となった男だったのだ。やがて、イギリスの情報部から独立した新エージェンシーがジョナサンの存在を知り、ローパーの武器取引の証拠を握るべく彼をリクルートした。ジョナサンは復讐に燃える! 巨匠が現代の巨悪を描破する傑作。

 

 The Hollywood Reporterによると、『ナイト・マネジャー』ドラマ化を手掛けるのは、映画『誰よりも狙われた男』を製作したインク・ファクトリー。『ハンナ』のデヴィッド・ファーが脚本を担当する。リミテッド・シリーズとのことだが、実際に何話構成になるのか、詳細は不明。シリーズはBBCとの連携で製作され、イギリス側では同局での放送が決まっているとのことだが、アメリカ側の放送局は決まっていないという。

 

 カレが1993年に発表した『ナイト・マネジャー』は、ホテルのナイト・マネジャーとなった元兵士ジョナサン・パイクが主人公。パイクと、彼の愛する女性を死に追いやった武器商人ローバーとの戦いを描く。Entertainment Weeklyでは、トムがパイク、ヒューがローバーを演じると伝えている。原作にはパイクの相手役となる女性ソフィーが登場するが、他のキャストや監督を誰が務めるかなどは不明だ。

 

 イギリスの人気俳優2人がテレビドラマで火花を飛ばす。なんとも豪華な顔合わせだが、日本でのリリースも期待したいところだ。

 

 カレの作品はこれまでも、日本では10月17日に公開予定の『誰よりも狙われた男』や『裏切りのサーカス』(小説のタイトルは『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』)、『ナイロビの蜂』など、多くの作品が映画化されている。

EU離脱を考える「ヘーゲルから考える私たちの居場所」山内廣隆

ヘーゲルから考える私たちの居場所

 

 

ヘーゲルのカント的国家連合批判」

 

2016年6月24日この書評を書いている。

おりしも今日、イギリス国民がEU離脱を選択した歴史的な日となった。 

                           

.イギリス国民がEU離脱を選択した理由は総じていえば「主権」の回復を求めたということであろう。

 

 それはまさしく本書でヘーゲルのいうところの「自立した国家こそ『地上での絶対的威力』であり、国家同士の関係は基本的には排除関係である」に当たる。

 

経済的理由から国民は残留を選択すると信じていたキャメロン首相は国民の意志を完全に読み違え辞任に追い込まれた。

 

「国の自立性において、現実的精神である自独存在は現に存在するものとなっているのであるから、このように自立していることが国民第一の自由であり、最高の栄誉である」は勝利した「離脱派」の言葉とさえ思われておもしろい。

                

.カントの提唱する平和的国際体制、諸国家の連合は理想であるが、ヘーゲル「総じてつねに特殊な主権的意志に基づいており、それゆえ偶然性にとりつかれている」と批判する。そこにはヘーゲルのきびしい人間観察、歴史認識が見てとれる。           

 

.しかし本書の結論は、ルートヴィッヒ・ジープの

ヘーゲルの歴史哲学をすべて採用することはできない。とくにわれわれは、理性と自由の必然的進歩というヘーゲルの理論に対しては懐疑的になっている」を引用し、曖昧で日和見的見解で終えているのは残念である。

 

EU加盟国が自国の主権を回復できないと判断すれば、イギリスに次いでEU離脱のドミノ化が現実のものとなろう。

 

「藤沢周平」を読む(その1)

藤沢周平

愛憎の檻 -獄医立花登手控え NHK連続ドラマで放映中

>藤沢周平さんの小説はかなり読んでいたつもりが調べてみると、まだ半分にも満たないのものでありました。(下の作品集のうち明るいブルーラインが読了)

ただ年月だけはかけていますからよき読者の一人であろうとは思います。

藤沢作品の特徴はその端正な文章はもちろんですが、多くの読者がそうでありますように、私も共感するのは偽りのないこの世への「絶望」の表現です。

例えば、

初期の傑作「又蔵の火」

「兄の死を、悲しんだものは誰もいなかっただろう」という思いが、弟虎松(又蔵)の胸をえぐる。

「兄にかわって、ひと言言うべきことがある」。

この世の不条理を断言されている。

よく「用心棒日月抄」あたりから明るくなったといわれますし、また先生ご自身もあとがきでそう書いておられます。

しかし、やはり最後まで「絶望」の淵においでであったでしょう。

伴侶を失ったもの、あるいは子を失った親が、真実癒やされることは生涯あろうはずがありません。

おそらく先生も悲しみに耐え続けなければならない人生であったと思います。

ただ不思議は藤沢作品に神、仏にすがるものが出てこないことです。

むしろ時代小説のリアリズムとしてはいささか腑に落ちないところです。

「神が不在」の現代を時代小説を借りて語っているとすれば、まさに凍えつくような人生観といえます。

続く

文庫本作品集は次の通り

暗殺の年輪

黒い縄・暗殺の年輪・ただ一撃・溟い海・囮 文春文庫     昭和48年9月

又蔵の火

又蔵の火・帰郷・賽子無宿・割れた月・恐喝 文春文庫      昭和49年1月

闇の梯子

父と呼べ・闇の梯子・入墨・相模守は無害・紅の記憶 文春文庫 昭和49年6月

雲奔る 小説・雲井龍雄

  文春文庫                                昭和50年5月

冤罪

証拠人・唆す・潮田伝五郎置文・密夫の顔・夜の城・臍曲がり新左・一顆の瓜・十四人目の男・冤罪 新潮文庫                       昭和51年1月

暁のひかり

暁のひかり・馬五郎焼身・おふく・穴熊・しぶとい連中・冬の潮

  文春文庫                              昭和51年3月

逆軍の旗

逆軍の旗・上意改まる・二人の失踪人・幻にあらず 文春文庫  昭和51年6月

竹光始末

竹光始末・恐妻の剣・石を抱く・冬の終わりに・乱心・遠方より来る

  新潮文庫                               昭和51年7月

時雨のあと

雪明かり・闇の顔・時雨のあと・意気地なし・秘密・果し合い・鱗雲 新潮文庫  昭和51年8月

義民が駆ける   中公文庫                    昭和51年9月

闇の歯車   講談社文庫                     昭和52年1月

闇の穴

木綿触れ・小川の辺・闇の穴・閉ざされた口・狂気・荒れ野・夜が軋む

  新潮文庫                             昭和52年2月

喜多川歌麿女絵草紙   文春文庫                昭和52年5月

長門守の陰謀

夢ぞ見し・春の雪・夕べの光・遠い少女・長門守の陰謀

  文春文庫                             昭和53年1月

春秋山伏記   新潮文庫                      昭和53年2月

一茶   文春文庫                          昭和53年6月

用心棒日月抄   新潮文庫                    昭和53年8月 

たそがれ清兵衛

たそがれ清兵衛・うらなり与右衛門・ごますり甚内・ど忘れ万平・だんまり弥助・かが泣き半平・日和見与次郎・祝い人助八 新潮文庫      昭和53年8月

神隠し

拐し・昔の仲間・疫病神・告白・三年目・鬼・桃の木の下で・小鶴・暗い渦・夜の雷雨・神隠し

新潮文庫                                昭和54年1月

消えた女 -彫師伊之助捕物覚え-   新潮文庫          昭和54年7月

回天の門   文春文庫                        昭和54年11月

驟り雨

贈り物・うしろ姿・ちきしょう!・驟り雨・人殺し・朝焼け・遅いしあわせ・運の尽き・捨てた女・泣かない女

 新潮文庫                               昭和55年2月

橋ものがたり

約束・小ぬか雨・思い違い・赤い夕日・小さな橋で・氷雨降る・殺すな・まぼろしの橋・吹く風は秋・川霧 新潮文庫                              昭和55年4月

霧の果て -神谷玄次郎捕物控-   文春文庫            昭和55年5月

春秋の檻 -獄医立花登手控え-   講談社文庫         昭和55年6月

闇の傀儡師(上)(下)   文春文庫                   昭和55年7月

孤剣 用心棒日月抄   新潮文庫                   昭和55年7月

隠し剣孤影抄

邪剣竜尾返し・臆病剣松風・暗殺剣虎ノ目・必殺剣鳥刺し・隠し剣鬼ノ爪・女人剣さざ波・悲運剣芦刈り・宿命剣鬼走り 文春文庫                                                              昭和56年1月

隠し剣秋風抄

酒乱剣石割り・汚名剣双燕・女難剣雷切り・陽狂剣かげろう・偏屈剣蟇ノ舌・好色剣流水・暗黒剣千鳥・孤立剣残月・盲目剣 返し 文春文庫                                                       昭和56年2月

夜の橋

鬼気・夜の橋・裏切り・一夢の敗北・冬の足音・梅薫る・孫十の逆襲・泣くな、けい・暗い鏡 中公文庫                            昭和56年2月

時雨みち

帰還せず・飛べ、左五郎・山桜・盗み喰い・滴る汗・幼い声・夜の道・おばさん・亭主の仲間・おさんが呼ぶ・時雨みち 新潮文庫            昭和56年4月

風雪の檻  -獄医立花登手控え-   講談社文庫         昭和56年4月

霜の朝 報復・泣く母・嘘・密告・おとくの神・虹の空・禍福・追われる男・怠け者・歳月・霜の朝 新潮文庫                          昭和56年9月

漆黒の霧の中で -彫師伊之助捕物覚え-   新潮文庫       昭和57年2月

愛憎の檻 -獄医立花登手控え-   講談社文庫            昭和57年3月

密謀(上)(下)   新潮文庫                        昭和57年4月

よろずや平四郎活人剣(上)(下)   文春文庫             昭和58年2月

人間の檻 -獄医立花登手控え-   講談社文庫           昭和58年4月

刺客 用心棒日月抄   新潮文庫                    昭和58年6月

龍を見た男

帰って来た女・おつぎ・龍を見た男・逃走・弾む声・女下駄・遠い別れ・失踪・切腹 新潮文庫                                  昭和58年8月

海鳴り(上)(下)   文春文庫                      昭和59年4月

風の果て(上)(下)   文春文庫                     昭和60年1月

決闘の辻 二天の窟-宮本武蔵・死闘-神子上典膳・夜明けの月影-柳生但馬守宗矩・師弟剣-諸岡一羽斎と弟子たち・飛ぶ猿-愛洲移香斎

   講談社文庫                             昭和60年7月

ささやく河 -彫師伊之助捕物覚え-   新潮文庫          昭和60年10月

白き瓶 小説 長塚節   文春文庫                   昭和60年11月

花のあと

鬼ごっこ・雪間草・寒い灯・疑惑・旅の誘い・冬の日・悪癖・花のあと 文春文庫

                                     昭和60年11月

小説の周辺 エッセイ 文春文庫                   昭和61年12月

本所しぐれ町物語   新潮文庫                   昭和62年3月

蝉しぐれ   文春文庫                         昭和63年5月

周平独言 エッセイ 中公文庫                     昭和56年9月

麦屋町昼下がり

麦屋町昼下がり・三の丸広場下城どき・山姥橋夜五ツ・榎屋敷宵の春月 文春文庫

                                      平成1年3月

市塵   講談社文庫                          平成1年5月

三屋清左衛門残日録   文春文庫                  平成1年9月

玄鳥

玄鳥・三月の  ・闇討ち・鶺鴒・浦島 文春文庫         平成3年2月

凶刃 用心棒日月抄   新潮文庫                  平成3年3月

天保悪党伝   角川文庫                       平成4年3月

秘太刀馬の骨   文春文庫                     平成4年12月

夜消える

夜消える・にがい再会・永代橋・踊る手・消息・初つばめ・遠ざかる声 文春文庫

                                    平成6年3月

半生の記 エッセイ 文春文庫                   平成6年9月

ふるさとへ廻る六部は エッセイ 新潮文庫           平成7年

日暮れ竹河岸 江戸おんな絵姿十二景・広重「名所江戸百景」より 文春文庫

                                   平成8年11月

漆の実のみのる国(上)(下)   文春文庫           平成9年5月

静かな木

岡安家の犬・静かな木・偉丈夫

  新潮文庫                          平成19年1月

 

書評「冷血」上・下 高村薫

合田が帰ってきた。

高村節のリズム感が戻ってくるのは事件現場に合田が到着してからである。

現場検証、捜査会議の詳細を極めるリアリティ表現はさすがの高村さん。

ただ事件はありふれた強盗殺人事件、犯人逮捕もあっけない。

あえてシンプルな舞台設定にして、

「冷血」な犯人の深層心理を表現しようとするのだが成功していない。

例えば、

T「その汚い安っぽいアメリカに、赤いドレスを着たナスターシャ・キンスキーの下品さがぴったりで、泣けたのです。下品のなかにも、髪の毛一本の差で美になるものがあることを発見したのが、私の『パリ、テキサス』でした。」

本書の中で、もっとも印象深い手紙文であるが、さて今日『パリ、テキサス』のナスターシャ・キンスキー髪の毛一本を記憶にとどめている読者がどれほどいるのだろうかと思ってしまう。

I「いつの間にかひとりで畑に戻っていて、キャベツを金属バットで叩き潰して回っている。ああ、いいえ、だからどうだということではないけども、やっぱり怖いこともありますよ、身内でも・・・」

中学生のいたずらなら、やっぱりだからどうだということではないだろうし、

キャベツが殺人の動機になるかという問いならやはり「ならない」。

よくよく高村ワールドを振り返ってみると、

エンターテイメント小説「レディジョーカー」後の「晴子情歌」から前作「太陽を曳く馬」まで純文学は書けていない。

ごく普通の事務員がある日当然天啓を受けてワープロをたたき始め、

マークスの山」「レディジョーカー」と驚異的な劇的世界を生み出したが、

人間の原罪を書くほどの天啓は受けていない。

つまりチェーホフチェーホフなのであってドストエフスキーではないということだろう。


冷血(上)冷血(上)
(2012/11/29)
高村 薫

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