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楊令伝(15)楊令と岳飛の最終対決の結末は?

 

楊令伝〈15〉天穹の章 (集英社文庫)

楊令伝〈15〉天穹の章 (集英社文庫)

 

 とうとう最終巻まで読み進めました。

多くの方がいっていますが作者の筆力はすごいですね。

南宋の時代、架空の梁山泊という夢物語があたかも実在したかもしれないと読者に思わ

せ、手に汗を握らせるおもしろさ。

「靖康の変」については多くを語らず、あくまで武人たちの国取り物語に徹している。

楊令と岳飛の最終対決の結末は?といえば、アッと驚くような想像を超える展開、

なるほどこうなるか。

 

ベツレヘムの密告者 パレスチナのいまがわかる

密告者


国連学校の歴史教師オマー・ユセフは、ジョージ・サバがイスラエルへの内通者と名指しされ、テロリスト射殺幇助の容疑で逮捕されたと知らされて耳を疑った。教え子のなかでもとびぬけて優秀で誠実なサバが内通者とは?動かない警察に業を煮やしたオマー・ユセフは、周囲の制止を振り切り、銃煙漂う街を徒手空拳で事件の真相を追い始めたが…。パレスチナの庶民の視点で描いた異色の本格ミステリ。CWA新人賞受賞作

まず、いくらかのパレスチナ情報を得て読みはじめないと戸惑ってしまうかもしれません。

例えばイスラエルの中であってもベツレヘムパレスチナ自治区のひとつであるため

裁判所、警察署、役所はパレスチナ人が管理していること、

パレスチナ人にはイスラエル建国前の固有の土地や集落があること、

パレスチナでは昔からイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が混住していること、

パレスチナ人は家系を大切にすること、などでしょうか。

そうした混沌とした世界での殺人事件を教師の主人公が推理するという展開ですから話はややこしい。

しかしどっぷりパレスチナ人になりきって読み進めていくと深い感動が待っているという名著であります。

楊令伝というより童貫伝

 

楊令伝〈9〉遥光の章 (集英社文庫)

楊令伝〈9〉遥光の章 (集英社文庫)

 

 童貫は宦官ではありながら禁軍の将軍に登りつめるという特異な経歴の持ち主。


作者は童貫への思い入れが強いのでしょう、前半の方臘の乱平定から、楊令との戦まで童貫を美しく描き切っています。

思い起こせば大水滸伝は「水滸伝」19巻、「楊令伝」15巻、岳飛伝」17巻、全51巻の大河小説、楊令伝〈9〉遥光の章はほぼ真ん中、前半のクライマックスです。意図的なのか、偶然なのか、いずれにしても恐るべき筆力に脱帽です。

史実とはまたひと味違った北方水滸伝、手に汗握る緊迫の第9巻でした。

「25年目の弦楽四重奏」&「持ち重りする薔薇の花」

もし人生がもう一つあったら何をしたいかと質問されて、

「第二の人生では心理学者になって、なぜクヮルテットの四人の仲がぎくしゃくするのか研究したい」

と答えたくらいなのに、演奏となるとじつにいいアンサンブルでじっくり聴かせる、

        

                  「持ち重りする薔薇の花」より

 

 

 

持ち重りする薔薇の花 持ち重りする薔薇の花
(2011/10)
丸谷 才一

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25年目の弦楽四重奏 25年目の弦楽四重奏
(2013/07/03)
アンジェロ・バダラメンティ、アンネ・ソフィー・フォン・オッター 他

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「25年目の弦楽四重奏」はヤーロン・ジルバーマン監督によるアメリカ映画、「持ち重りする薔薇の花」は故丸谷才一さんの遺作小説。ともにそれぞれの世界では趣味人にこそ愛されている佳作。

 

たまたま、2011年同じ時期に、弦楽四重奏団の音楽家たちを主人公に据えて、悩む演奏家を同じように描いている。

 

あくの抜けない苦い二品の料理をいっしょに味わうと、これが意外といける、という次第。

 

映画「25年目の弦楽四重奏」では

第1バイオリン マーク・イヴァニール

第2バイオリン フィリップ・シーモア・ホフマン

ヴィオラ キャサリン・キーナー

チェロ クリストファー・ウォーケン

 

いっぽう小説「持ち重りする薔薇の花」では

第1バイオリン 「プロフェッサー」厨川 

第2バイオリン 「殊勲賞」鳥海 

ヴィオラ 「テツチャン」西 

チェロ 「チェロさん」小山内  という設定

 

映画であれ小説であれぎくしゃくする不仲の理由は自らの技量への過信。

 

とくに第1バイオリンと第2バイオリンの仲たがいが多い。

 

映画では第2バイオリンのフィリップ・シーモア・ホフマンが第1バイオリンをやりたいと言い出すが、仲間から「君には第1バイオリンは無理だ」言われてだんだん切れてくる。その切れ具合はアカデミー男優賞のフィリップ・シーモア・ホフマンがうまい。

 

小説では第1バイオリン「プロフェッサー」の厨川君が天狗になって、

「君たちはおれをやめさせたいらしいが、それは筋違いだ。

おれのバイオリンで持っているクヮルテットぢやないか。

いやならそっちがやめてくれ。ぼくがほかのメンバーを探す」と言って出て行く。

 

それを言っちゃあおしまい、というところだが結局は元のサヤに帰る。

 

それぞれにあやうい四重奏団、「持ち重りする薔薇の花」とはさすがに丸谷才一さん、うまい。

 

 

 

武原はん 日本舞踊のゆくえ(その1)

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 NHK教育でひさしぶりに武原はんの舞踊を観た。

 

さて、わたしは「日本舞踊のゆくえ」と題して日本舞踊について書こうとしているが、日舞に関する資料はあまりに少ない。(家元制による身体伝承の技によるのだろう)

 

そこで「武原はん」さんと「井上八千代」さん、歌舞伎「娘道成寺」の評により現代日本舞踊評に替えよう思う。

 

 

                 

武原はん

 

 

 

「武原はんは大阪古来の遊郭に育って、山村流を身につけ、独自の座敷舞を完成した。その美しさは、戦後の荒廃のなかで日本の美しさの象徴の一つとして一世を風靡した。」(この項 渡辺保著)

 

とくに昭和27年(49歳)から平成6年(91歳)まで続いた「武原はん舞の会」はあまりにも有名である。

 

あの青山次郎と結婚し2年で別れているが、その間、美術眼を磨いている。

 

昭和14年には高浜虚子に師事、俳号「はん女」。

 

クリックで、おそらく平成3年4月30日国立大劇場での地唄「雪」の舞台。

(ほとんど見ることが出来なかったはんさんが見れる、ありがたい時代です。)

 

 

「東京では久々の上演で、例の白地に”まきのり”の着付。私には今回の舞そのものよりも、瞼にやきついている数々のはんの「雪」が、そして「雪」の舞台の軌跡が浮かび、しみじみと感慨深かった」評 (如月青子  「武原はん一代」より)

 

 

       地唄「雪」

 

     花も雪も 払へば清き袂かな

     ほんに昔のむかしのことよ

     わが待つ人も我を待ちけん

     鴛鴦の雄鳥にもの思ひ

     羽の凍る衾に鳴く音もさぞな

     さなきだに心も遠き夜半の鐘

     聞くも淋しきひとり寝の

     枕に響く霰の音も

     もしやといつそせきかねて

     落つる涙のつららより

     つらき命は惜しからねども

     恋しき人は罪深く

     思はぬことのかなしさに

     捨てた憂き 捨てた憂き世の山葛

 

 

 

座敷舞は上方舞ともいうがその発祥は遊郭である。

 

能、歌舞伎の舞踊は男性であるが、座敷舞は舞い手が女性であり衣裳はきものである。

 

武原はんは生来の美貌と体軀を十分に意識していた人であった。

 

加えて歌麿の浮世絵、文楽女形からきものの様式美を学び、独自の座敷舞を完成させた。

 

それは究極の日本女性姿美の追求であり、座敷舞の完成を目指した。

 

結果、武原はんは戦後日本女性の象徴になった。

 

不幸は、彼女の舞踊が「武原はん」生来独自の芸であり伝統となることはなかったことである。

 

 

ふたたび、地唄「雪」を聴いてみよう、哀しい唄である。

 

「武原はん」は95歳で亡くなった、「捨てた憂き 捨てた憂き世の山葛」

 

そして、すべてがこの世から消えた。

 

 「秋の日の一代を舞う嬉しさよ」 はん女

 

 

 

 

 

           「笑話 日本舞踊をみる」

 

      

年に2、3回は日本舞踊の舞台を観る機会があります。

 

各流派ごとのおさらい会ですから、どの会も大ホールを借り切り、朝の10時から夜の8時ごろまで入門したての新弟子さんたちから中堅クラス、師範クラスと延々と一日中続き、最後に家元が見本を示すという段取りです。

 

ですから本格的な日舞鑑賞となりますと午後6時ごろから会場に入ればいいのですが、そうもいきません。

 

親戚の娘さんが朝11時ころには舞台に出ます、と聞けば観て手もたたいておかねばなりませんし、ご近所の奥さんが69番、つまり午後2時ごろに出演となれば観ておかねば道で出会ったときの挨拶に困るので席を外せません。

 

 

舞台順序はじつに正確にその流派の序列の逆順ですから、おおむね、結局、年齢順ということですので、午後5時台ともなりますとほとんど足腰の弱ったお年寄りの舞台となりますが、これも我慢をしなければなりません。

 

 

なんとかひとやま越えまして、午後6時くらいになりますといよいよ名取さんたちの舞台となり、大道具、小道具が凝った仕掛けのもの、つまり金がかりのものになりますのでこれも見逃せません。

 

そして8時過ぎいよいよお家元が舞い納めをします。

 

もちろん、さすが家元の芸というものをさらりと演じられ「よくみて勉強するのよ」

 

と見得を切ってお開きかな、と思うとお家元のお家元なるご婦人が舞台にあらわれ

 

「きょうはようござんした」と長々挨拶されて、

 

時計を見ると9時過ぎ、お客のほうが疲れきってしまうという行事が年に2,3度あるのです。

 

 

 

 

30STM ジャレット・レト監督ドキュメンタリー「ARTIFACT」

2008年夏、新たな創作の場を求めて動き始めた

 

サーティセカンズ・トゥ・マースは

 

所属レコード会社EMIから契約不履行で提訴された。

 

訴訟額3000万ドル、30STMに30ミリオン

 

だが彼らは屈することなく新譜の政策に着手

 

中心人物ジャレット・レトは録音をつづけながら

 

創造と闘いの記録を映像作品として残した。

 

バーソロミュー・カミンズの名で

 

 

音楽ファンのみならずあらゆる分野のクリエーターたちに衝撃をあたえるドキュメンタリー「ARTIFACT」

 

ある意味で21世紀における象徴的歴史事件ともいえる。

 

しかし残念ながら、映画は日本では公開されなかったし、DVDも発売されていない。

 

放映したWOWOWは番組をこう紹介している。

 

ジャレッド・レト

 

2013年に出演した映画『ダラス・バイヤーズクラブ』での演技が絶賛され、2014年の第86回アカデミー賞助演男優賞のほか、数々の映画賞を獲得したジャレッド・レト。一方で、ジャレッドはロック・バンド、サーティー・セカンズ・トゥ・マーズを率い精力的に活動中だ。3rdアルバム『ディス・イズ・ウォー』発表後の2009年から行なったワールドツアーは60カ国、311公演に及びギネス世界記録に認定。さらに2013年に発表した最新作も全米トップ10のヒットとなり、ミュージシャンとしても成功を収めている。

しかし、成功の陰には苦闘の歴史があった。契約枚数未消化で所属レコード会社から2008年に起こされた3000万ドルの巨額訴訟。その重圧のなかで完成させた『ディス・イズ・ウォー』のレコーディング過程を追い、自ら監督したドキュメンタリーが本作だ。ジャレッドとバンドの実像、そして音楽業界の裏事情もうかがえる興味深い作品である。

 

映画の中でジャレッド・レトはこう言っている。

 

1.これは芸術家と商業主義の戦いの記録である。

 

2.音楽の発表媒体がCD販売の形態からネット販売に移り、レコード業界が瀕死に直面し、抱える音楽家からの搾取が激しくなっている。

 

3.苦境のレコード企業を業界に通じない資本家たちが買収売却で利益を上げようと、まさにハゲタカファンドなみに食いつき、素人集団化している。

 

4.企業のお抱え弁護士たちが法律に疎い芸術家に訴訟を仕掛けて脅すというアメリカ的風景がある。

 

話を聞けば、

 

ベニスの商人」なみのえげつない話と聞こえるし、

 

はたまた、江戸時代の女衒がよくする足抜け女郎への脅し文句とも聞こえる。

 

ジャレッド・レトはこう言う。

 

こんな社会構造おかしくはないか?

 

『ディス・イズ・ウォー』

 

ただ残念なのはラスト、EMIとの和解、和解内容が示されないまま映画は終わっていること。

 

さいわい30STMが才能ある若者たちゆえに勝利できた。

 

あたかも18世紀末のウイーン、モーツァルトハイドンベートーヴェン登場の音楽世界を彷彿とさせる。

 

衝撃的な名画である。

 

しかし、この映画の本当の肝はわずかに語られる、ジャレッド・レト、シャノン・レト、 トモ・ミレセヴィックの少年時代の思い出である。

 

レト兄弟はわずか17歳の母親、それも当時のピッピーらしきコミューン仲間の子として誕生している。

 

まわりには音楽があふれていたが、おそらく貧しい母子家庭で多くの差別を受けてきたと思われる。

 

だから弱い者がいじめられる社会を見過ごせない鋭敏で過激な感性がこんな映画を作らせる。

 

兄のシャノン・レトは大の学校嫌い、ドラムも独学で習得している。

 

学校のない世界こそいろんな可能性がある、といっている。

 

レト兄弟の考え方は「脱学校社会」のイヴァン・イリイチの思想に近い。

 

リード・ギター、バイオリン、キーボードの トモ・ミレセヴィックはクラシック畑からの参加、ほぼ音楽オタク。

 

多くの若者が30STMに共感するのは音楽ばかりではなく自由なその生き方に共鳴するからであろう。

 

 

 

レトが第86回アカデミー賞助演男優賞を受賞した「ダラスバイヤーズクラブ」は「ARTIFACT」の延長線にある。

 

 

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「永遠のマリア・カラス」

地方に住んでいますとなにせ会場が遠いのと、オペラ公演を観にけるほど経済的余裕はありません(こっちが本音か)ので

 

どうしても映画館でのライブビューイングかテレビ放送で楽しむことになります。

 

それにしても最近震えるほどの感動を受ける舞台に接していません。

 

 

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では映画「永遠のマリア・カラス」はどうでしょう。

 

話はこうであってほしいという監督・脚本:フランコ・ゼフィレッリのフィクション、

 

晩年のカラスをよく似た女優が歌はクチパクで演じるといういかがわしい映画のはずが、

 

カラスの歌声が聞こえ始めると女優のはずが本物のカラスに見えてくるから不思議です。

 

舞台で演じたことのないカルメンの場面では完全にカラスのオペラになっています。

 

まさにディーバですね、

 

これはゼフィレッリの想像力の賜物です。

 

ほとんどが嘘でも声さえ本物ならカラスはよみがえる、観客に感動をあたえられるという確信だったのでしょう。

 

実際、映画は期待通り成功を収めたのです。

 

 

結局、今日のオペラに飽き足りなければ、カラスのレコードを聴くことになります。

 

 

ただ、ドラマではまるで日本公演の失敗が引退の理由のようになっていますが、1974年にはエネルギーのほとんどをアメリカ公演に費やしています。ゼフィレッリのアジア差別には不愉快なシーンが多くあります。