「良心の美術館」泉美術館(3) ある風景のはなし展
ここではロラン・バルトのこんな言葉がふさわしいでしょう。
「あらゆるイメージは多義的である。
それはそのシニフィアンの下方にあってシニフィエという《揺れ動く鎖》を内包しており、
イメージを読み取る者がそのうちのあるものを選び他のものには無知であっても差しつかえない。
多義性は意味に対する疑問を招来する。」 イメージの修辞学
「ある風景のはなし
人にはそれぞれ忘れられない風景がある。
時にそれは、人生を左右する重要な場面であったり、
反対に大した意味もない日常的な場面であったりする。
そしてその記憶の源泉は実際の体験によるものだけでなく、
写真や映像、更には空想や夢の場面が、
忘れられない風景として私達の脳裏に焼き付き存在し続ける。
伊東敏光」
と、伊東敏光、クリス・パウェル、長岡朋恵さんの三人展は始まる。
まずは、クリス・パウェルさんの陶器のオブジェ。
無機質で怜悧なはずの陶板をユーモアと物語性でやさしく柔らかな作品に仕上げている。
陶器に縁の深い日本人には思いつかない世界である。
とくに「子羊と丘」「丘の間の潜水艦」の完成度が高い、
十倍の大きさに焼き上げればニューヨークのMOMA美術館のロビーにこそふさわしい。
一方、長岡朋恵さんの作品は、記憶の忠実な発露か、あるいは巫女さんの宣旨なのだろうか。
深く暗い海馬の底、かすかにともる明かりを「いま、ここに」運んで、観る者の六感を照らす。
「トンチキの眠る山」や「結局、餅が降る」にはゾクゾクする。
さて、泉美術館のメインロビーを圧する巨大なジェット機、
そして向かう彼方にはダラスの街並み。
では地上は熱波のテキサス沙漠か。
伊東敏光さんの現代彫刻。
「これはAA60ではありません、廃材です」
「いえ、これは廃材ではありません、AA60です」
* * *
「あの街はダラスですか?」
「いえ、あの街はニューヨークです」
「ではこれはAA60ではありません、UNITED93です」
* * *
「ここはテキサスですか?」
「いえ、ここはヒロシマです」
「ではこれはAA60ではありません、ENOLA GAYです」
* * *
わたしの「ある風景のはなし」であり、《揺れ動く鎖》である
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「良心の美術館」泉美術館にて