「ローマ人の物語」塩野七生
塩野七生さん、いや塩野七生先生は、ローマ史というよりイタリア史を紀元前8世紀から17世紀の「レパントの海戦」まで約二千五百年に延々とするノンフィクションドラマとして書き上げたことになります。これだけの時間の通史を精緻に、たった一人で書き上げた人間は洋の東西を問わず塩野七生先生ただひとりです。
『ローマ人の物語』15巻
『ローマ亡き後の地中海世界』2巻
『コンスタンティノープルの陥落』
『十字軍物語』3巻
『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』
『ルネサンスの女たち』
『ロードス島攻防記』
『レパントの海戦』
その他、
まで1970年から2011年、じつに40年にわたる大事業でした。日本人の一人としてご苦労様でした、ありがとうございます、とねぎらいと感謝の言葉をかける以外ありません。
読者としてこれだけ膨大な著作を全部読み通すのは大変なように思いがちですが、『ローマ人の物語』第1巻から『レパントの海戦』まで25冊あっという間、私の場合ですと1年半で読み終えてしまいました。
理由はただひとつ、おもしろいからです。
先生のほうからするとよく40年間も、となりましょうが、その答えもおそらく、
理由はただひとつ、おもしろかったらです、になるのでしょう。
さて一読者から先生のお仕事2500年を俯瞰すると、
紀元前8世紀のローマ草創期から西暦313年「ミラノ勅令」によるキリスト教の公認までを「明るい時代」、その後17世紀までを「暗い時代」と見ることが出来ます。
もちろん先生の恋人カエサルあるいは甥のアウグストゥスの時代が絶頂期としてですが。
「暗い時代の入り口」がキリスト教の聖職者を職業として認め、教会の土地所有を認めたことにはじまる、とさりげなく示されている、と読むのは私の読み違いかもしれません。
いずれにしてもその後の宗教戦争、とくに西洋の暗黒時代といわれた時代、地中海沿岸のサラセンの塔やイタリア沿岸都市の紹介により、イスラム勢力による災難がおおよそ『レパントの海戦』まで、あるいは近世まで続いていたことは、先生の著作まで知る由もありませんでした。
ふつう学ぶヨーロッパ中世史といえば、もっぱらカール大帝以後の北ヨーロッパ史に終始していますから。
再びヨーロッパが「明るい時代」を取り戻すのは「キリスト教のくびき?」から解放される18世紀になってからのことです、というのも読み違いかもしれません。
塩野先生が作品をローマ史と呼ばず、あえて「ローマ人の物語」というフィクションで語られる理由はこのへんにあるのでしょう。