Dの挑戦 ドストエフスキーの方法
「悪霊」
「ニコライ・スタヴローギンは事実、部屋の中にはいっていた。彼はごく静かに部屋にはいってくると、一瞬戸口で立ちどまり、もの静かな眼差しで一座をみわたした。」
やっと出てきたか、と言いたいけど、スタヴローギンの登場で物語は動き出す。
さて、ドストエフスキーをどう読むか、ヒントは三つある。
(ヒントその1)
「自らの意思と声を持つ、自立的な存在としての登場人物を設定し、
相違なる思想同士の、事件に満ちたポリフォニー(多声楽)のような対話が実現している。
そのジャンルは民衆的な笑いの文芸、カーニバルにたどりつく。」と述べている。
(ヒントその2)
ドストエフスキーは世界中文学中もっとも偉大な小説としてセルヴァンテスの「ドン・キホーテ」を挙げ、理想としている。
実際の事件をヒントに空想のつばさを広げる、まさに近松の浄瑠璃なのだ。おおいに笑えばいい、泣けばいい。
(ヒントその3)
「ぼくは、世界発見の有力な方法のひとつが物語であると思っています。
物語はコードの塊ですから、混乱している状況をある人はこういうふうに見ました、となると、自然に物語になってしまいます。
だから、物語の中には、発見と発表の方法が一緒になってるわけです。
ただ、世の中には使い古された物語がいっぱいあって、それによりかかっているとだめで、まず、こういう話です、ということをお客さんと契約していくわけですね。
もっともその通りになってしまうと、実に質の悪い予定調和のアホな芝居になってしまう。
そこでお客さんと最初に契約を取り交わしておいて、これはこういう話ですと言っておいて、お客さんがそのコードを、芝居の文法を、そうかこれだ、と呑み込んだところで少しずつずらして行く。
最初に提供した物語の文法Aを少しずつずらして行くのです。
同時に、前もって、こっそり,もう一つ文法Bを用意して、伏線を張っておき、ずらした物語の文法AをBに乗り換える。
つまりこれが例のどんでん返しです。
つまり観客と絶えず契約を結びつつ、その契約を、第二、第三の契約へ巧みに更新して行く。これがつまりは物語というものだと考えています。
この契約を価値観あるいは世界観と言い換えてもいい。」(井上ひさし 戯曲の作法)