ヨシフ・ブロツキー ヴェネチア その1)
ヴェネツィア 水の迷宮の夢 (1996/01/17) ヨシフ・ブロツキー 商品詳細を見る |
ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」に触発されて、ヴェネチアにかかわるさまざまなイメージを思い出している。
この町の美しさ、すぐにヨシフ・ブロツキイの短編小説「ウォーターマーク ヴェネチア」が思い浮かぶ。
その終章
「繰り返してみよう。
水は時であり、美に、みずからの分身を与えてくれる。
ぼくらも一部は水であり、ぼくらもまたそのようにして美に仕える。
この町は水をこすって、時の容貌まで改良する。
それこそが宇宙の中の、この町の役割である。
ぼくらは動くのに町は動かないからだ。
涙がその証拠だ。ぼくらは去り、美はとどまるからだ。」
そのまま映画「ベニスに死す」のラストシーンといっていい。
わたしにはロシアの詩人ブロツキイの詩がなじめないが、この散文は心に響く。
ここで、彼を主人公とする有名な「文学裁判」を紹介しておこう。
ロシア亡命者ヨシフ・ブロツキイ、彼は何者なのか。
1963年12月、詩人ブロツキイは定職につかない有害な「徒食者」として逮捕され、レニングラードで裁判にかけられた。
裁判官「いったい、あなたの職業は何です?」
ブロツキイ「詩人です。詩人で翻訳もします」
裁判官「誰があなたを詩人と認めたんです?誰があなたを詩人のひとりに加えたんです? 」
ブロツキイ「誰も。じゃあ、誰がぼくを人間のひとりに加えたっていうんです?」
裁判官「でも、あなたはそれを勉強したんですか?」
ブロツキイ「何を?」
裁判官「詩人になるための勉強ですよ。そういうことを教え、人材を養成する学校に、あなたは行こうとしなかったでしょう・・・・」
ブロツキイ「考えてもみませんでした・・・・そんなことが教育で得られるだなんて」
裁判官「じゃあ、どうしたら得られると思うんです?」
ブロツキイ「ぼくの考えでは、それは・・・・神に与えられるものです」
(引用 沼野充義訳)
私人―ノーベル賞受賞講演 (1996/11) ヨシフ ブロツキイ 商品詳細を見る |
我心如水還如月 月落水流流不流
(水月橋のほとりの水と月の秋 水の光と月の色と、共に悠々
わが心水の如く、また月の如し、月落ち水流れ、流れて流れず)
元政上人「草山集」