回顧 井上ひさし
近松門左衛門以来の天才戯作者、小説家井上ひさしさんを回顧しておこう。
戯曲家井上ひさし
観た舞台は「日本人のへそ」「道元の冒険」「泣き虫なまいき石川啄木」「組曲虐殺」くらい。笑い転げて、石原さとみさんがうまいな~という印象。みんなとにかく早口で、大事なことばを聞き逃している。戯曲集をあとで読むと驚く。
どの舞台にも共通するあのミュージカル仕立てというかコーラスには困ってしまうが、かといってあのコーラスがなければ井上ひさし劇場ではないし、舞台のへそがないことになってしまう不思議。たださすがに「組曲虐殺」のラストコーラスには泣けた。
クリックしてください「組曲虐殺」公演
http://horipro.co.jp/usr/ticket/kouen.cgi?Detail=195
井上ひさしさんはどうもはじめ本気でブロードウェイ・ミュージカルを目指していたらしい。精緻な研究の跡が残っていると聞く。ミュージカル挫折の原因は日本人役者の歌唱力の弱さだった。もしエノケンほどの役者がいたら舞台も違っていたはずだ。
それでも浅草フランス座の座付き作家からテアトルエコーの戯作者へ、世間は驚愕し、日本一の舞台作家に登り切ったのだからすごい、その戯曲数60作。
天才はどうも自分が天才とは気づかないものらしい。
「すいません、すいません」のひょうきん者が「ひょっこりひょうたん島」の台本を書いたって普通誰も気にもとめない。
ただ「天才現れる」と瞠目した作家たちはいたらしい、文豪たちが毎日夕方6時になると子供番組「ひょっこりひょうたん島」にチャンネルを合わせ、じっと見つめて考えこんでいたのだからその図は恐ろしい。
小説家井上ひさし
「日本人のへそ」が大ヒットしたころ依頼を受けて書いた書き下ろし小説が「ブンとフン」。
読んでみられるといい、ナンセンス小説の極致、のりしろ線や切り取り線の指示ある小説がいままであったか。延々と7ページも続くダジャレ歌を誰が許すのか、アホらしいアホらしくておもわず読んでしまうアホらしさ。
ご本人もあれ以上のナンセンス小説はその後書けないとご満悦だったそうな。
ただその基本スタイルは最後まで変わっていない。
その後は書きも書いたり「四千万歩の男」(わたしは分厚い文庫本全5冊を読み切れないでいる)まで、講談社は井上ひさし全集全百巻をつくる覚悟があるだろうか。
みずから「遅筆堂」というほど締め切りにならないと書けなかった先生、夏休みの宿題を8月31日にならないと出来ない子供のような先生、編集者に尻をたたかれて直木賞受賞作「手鎖心中」をやっと書けた先生。
しかしあと百年もすれば誰もが一日遅れや一月遅れの遅をも熟慮の時間と表現するでありましょう。
資料魔メモ魔井上ひさし
名だたる文豪たちが資料魔でありメモ魔であることは必然であるが、その資料のために蔵を建てる文筆家はそうそういない。書くための資料というより資料で遊びたいのだ。
荒俣博、夢枕獏、立花隆、松本清張など有名資料魔は多いが、井上ひさし先生もそのひとり。
「不忠臣蔵」という忠臣蔵外伝を書いているが、そのため世にある忠臣蔵資料をあらかた漁り尽くしてしまい、他の研究者が忠臣蔵資料を探り手繰っていくと井上家にたどり着くという。あの精密な手作り「吉良邸近郊地図」を見れば周到さに驚くが、書くのは本当のような嘘っぱちだからさらに驚く、まさにドストエフスキー。
藤沢周平ファンなら架空の「海坂藩の井上ひさし地図」はいまでは必携となっているが、小説をよほど読み込まないと海坂の街並みが絵として浮かぶまい。恐るべきいたずら書き名人であった。
思想家井上ひさし
戦中子供派、大人たちの変わり身の速さにウンザリしたトラウマ少年は多いよね。
堀田善衞、日本を脱出スペインへ「紅旗征戎吾ガ事二非ズ」
もっとも皮肉たっぷりのお兄さん井上ひさしが最後にやって来て、いったね、モロ露骨に。
東京セブンローズ、組曲虐殺。
ぼくはシンパだけど、それを言っちゃあおしまいよ!