「意志と表象としての世界」ショーペンハウアーを読む(1)
ショーペンハウアーさんがひどく変わったおもしろいオジサンであることはすでに述べましたが、
その代表作「意志と表象としての世界」もまたじつに愉快な哲学書ではあります。
まずは、その序文、読者にこの本を読むにあたっての心得といいますか次のような準備を求めています。
その一、この本は二回読まなければわからない。
その二、この本の前にカントの主著を読んでいなければならない。
その三、これがよくわからないのですが、サンスクリット文学、古代インドのウバニシャドのヴェーダを理解していてほしい。
さあ大変だ、そこでショーペンハウアー先生は、
「憤慨した読者は、一冊の本にこれほどぎょうぎょうしくとりかからねばならないとしたら、いったいいつになったらけりがつくかと問うであろう。
こうした非難に言葉を返す必要は毛頭ない。
ただわたしは、申し述べた要求を果たさずに通読してもなんの役にも立たず、したがってまるでやめにしたほうがいいような本で時間をつぶすことをしないようにと警告する。」
といって、耐えられない人はこの本を片づけなさい、さらにご丁寧に、
「序文まで読み進んだ読者はこの本を現金で買ったのであるから、どうして弁償してくれるかと問うわけである。
そこでわたしの最後の逃げ場とすれば、
本というものはただちに読まなくてもいろいろ利用できる。
読者の書庫の隙間を埋め、そのなかで見栄えがするであろう。
学のある女友達の化粧台なりちゃぶ台なりの上におくこともできる。」
と、積読、本の物理的活用法まで説いています。
さいわいにもショーペンハウアー先生のご心配は杞憂に終わりました。
「意志と表象としての世界」第一版を金を出して買う人はまったくありませんでしたから。