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武原はん 日本舞踊のゆくえ(その1)

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 NHK教育でひさしぶりに武原はんの舞踊を観た。

 

さて、わたしは「日本舞踊のゆくえ」と題して日本舞踊について書こうとしているが、日舞に関する資料はあまりに少ない。(家元制による身体伝承の技によるのだろう)

 

そこで「武原はん」さんと「井上八千代」さん、歌舞伎「娘道成寺」の評により現代日本舞踊評に替えよう思う。

 

 

                 

武原はん

 

 

 

「武原はんは大阪古来の遊郭に育って、山村流を身につけ、独自の座敷舞を完成した。その美しさは、戦後の荒廃のなかで日本の美しさの象徴の一つとして一世を風靡した。」(この項 渡辺保著)

 

とくに昭和27年(49歳)から平成6年(91歳)まで続いた「武原はん舞の会」はあまりにも有名である。

 

あの青山次郎と結婚し2年で別れているが、その間、美術眼を磨いている。

 

昭和14年には高浜虚子に師事、俳号「はん女」。

 

クリックで、おそらく平成3年4月30日国立大劇場での地唄「雪」の舞台。

(ほとんど見ることが出来なかったはんさんが見れる、ありがたい時代です。)

 

 

「東京では久々の上演で、例の白地に”まきのり”の着付。私には今回の舞そのものよりも、瞼にやきついている数々のはんの「雪」が、そして「雪」の舞台の軌跡が浮かび、しみじみと感慨深かった」評 (如月青子  「武原はん一代」より)

 

 

       地唄「雪」

 

     花も雪も 払へば清き袂かな

     ほんに昔のむかしのことよ

     わが待つ人も我を待ちけん

     鴛鴦の雄鳥にもの思ひ

     羽の凍る衾に鳴く音もさぞな

     さなきだに心も遠き夜半の鐘

     聞くも淋しきひとり寝の

     枕に響く霰の音も

     もしやといつそせきかねて

     落つる涙のつららより

     つらき命は惜しからねども

     恋しき人は罪深く

     思はぬことのかなしさに

     捨てた憂き 捨てた憂き世の山葛

 

 

 

座敷舞は上方舞ともいうがその発祥は遊郭である。

 

能、歌舞伎の舞踊は男性であるが、座敷舞は舞い手が女性であり衣裳はきものである。

 

武原はんは生来の美貌と体軀を十分に意識していた人であった。

 

加えて歌麿の浮世絵、文楽女形からきものの様式美を学び、独自の座敷舞を完成させた。

 

それは究極の日本女性姿美の追求であり、座敷舞の完成を目指した。

 

結果、武原はんは戦後日本女性の象徴になった。

 

不幸は、彼女の舞踊が「武原はん」生来独自の芸であり伝統となることはなかったことである。

 

 

ふたたび、地唄「雪」を聴いてみよう、哀しい唄である。

 

「武原はん」は95歳で亡くなった、「捨てた憂き 捨てた憂き世の山葛」

 

そして、すべてがこの世から消えた。

 

 「秋の日の一代を舞う嬉しさよ」 はん女

 

 

 

 

 

           「笑話 日本舞踊をみる」

 

      

年に2、3回は日本舞踊の舞台を観る機会があります。

 

各流派ごとのおさらい会ですから、どの会も大ホールを借り切り、朝の10時から夜の8時ごろまで入門したての新弟子さんたちから中堅クラス、師範クラスと延々と一日中続き、最後に家元が見本を示すという段取りです。

 

ですから本格的な日舞鑑賞となりますと午後6時ごろから会場に入ればいいのですが、そうもいきません。

 

親戚の娘さんが朝11時ころには舞台に出ます、と聞けば観て手もたたいておかねばなりませんし、ご近所の奥さんが69番、つまり午後2時ごろに出演となれば観ておかねば道で出会ったときの挨拶に困るので席を外せません。

 

 

舞台順序はじつに正確にその流派の序列の逆順ですから、おおむね、結局、年齢順ということですので、午後5時台ともなりますとほとんど足腰の弱ったお年寄りの舞台となりますが、これも我慢をしなければなりません。

 

 

なんとかひとやま越えまして、午後6時くらいになりますといよいよ名取さんたちの舞台となり、大道具、小道具が凝った仕掛けのもの、つまり金がかりのものになりますのでこれも見逃せません。

 

そして8時過ぎいよいよお家元が舞い納めをします。

 

もちろん、さすが家元の芸というものをさらりと演じられ「よくみて勉強するのよ」

 

と見得を切ってお開きかな、と思うとお家元のお家元なるご婦人が舞台にあらわれ

 

「きょうはようござんした」と長々挨拶されて、

 

時計を見ると9時過ぎ、お客のほうが疲れきってしまうという行事が年に2,3度あるのです。