「癒やす能」その3自然居士
話は、人買いにさらわれる少女を自然居士が琵琶湖畔まで追っていき、人買いの云う舞を舞え、簓をすれ、鞨鼓を踊れと無理難題に応えて、無事少女を解放するという、宗教家の有り様を問う問題作です。
説法を旨とする宗教家に辱めのため遊芸をさせて笑おうという人買い。
「よくよく物を案ずるに、ついにはこの者を賜り候はんずれども、ただ返せば無念なり、居士をいろいろになぶって恥を与へうと候ふな。
あまりにそれはつれなう候。」と答える自然居士。
「何のつれなう候ふべき。」
「志賀辛﨑の一つ末」
「つれなき人の心かな」
結局、自然居士は説法ではなく舞、簓、鞨鼓という実践を通じて人を助けるという居士自身が宗教家として自覚し成長するという展開なのです。
「狂言ながらも法の道、今は菩提の、岸の寄せ来る、船の内より、ていとうとうとうち連れて、ともに都に上りけり、ともに都に上りけり。」
「自然居士」は観阿弥の作といわれるが、仏門の形骸化が著しい時代にあって、一休宗純の思想に近い青年僧を描けたのは足利義満の庇護下にあっての世阿弥の改作によるものと推論する。