「十二国記」新作は直木賞を受賞する
いわば東洋の「指輪物語」、きっと永く読み継がれる名作なので、
新作に直木賞くらいあげておかないと、将来、直木賞選考委員の人たちはきっと恥ずかしい目に合うでしょう。
いまは奇書、あすは名著
食わず嫌いという言葉があります。読書ではさしずめ嫌いなジャンルということでしょう。
若い女性向けのホワイトハート文庫、ましてファンタジーとなればまず本屋で手に取ることはありません。
しかしそれでも是非にと勧める人があり、勧められるままに読み始めた「十二国記」でしたが。
これが美味い、じつに美味い、あらためて食わず嫌いは良くないことだと思い知りました。
本筋の四巻をいっきに読み終わり、ため息ひとつついて、不思議な勧興を覚えました。
レミゼラブルのコゼットの物語のようでもあるし、ブロンテの嵐が丘のようでもある、
いやメルビルの白鯨の味わいでもあり、いや果てはセルバンテスのドン・キホーテの滋味かと。
ともあれ古今の名著が思い浮かぶということは「十二国記」は意外にも大変な傑作なのではないか、と。
「いまは奇書、あすは名著」の例にならうのではないでしょうか。
文学上の特徴
物語は省略しますが、いわゆる貴種流離譚の神話形式をとっています。
神話世界のリアリティを支えているのが中国史「史記」五帝本紀、夏本紀、殷本紀、周本紀あるいは「書経」。
著者小野不由美さんの書誌学の教養は相当なもので、ある執念さえ感じさせます。
東洋史の碩学「内藤湖南」漢字研究の「白川静」の系譜、京都学派につながる人ではないでしょうか。
小説「十二国記」はさしずめ「和漢朗詠集」現代版といえるかもしれません。
大きな特徴は漢字の多用、漢文読み下しの文章にありますが、
その美しさと軽快なリズムから、あらためて日本語見直しの機会になるかもしれません。
著者は「十二国記」出版のいきさつを「はじめ難しすぎて若い女性向きではない」と断られたと語っていますが、
いまどき本気で漢詩、漢文を勉強するのは大学受験の高校生か大学生くらいでしょう。
出版社が販売見通 を完全に誤っていたということになります。
目ざとい漢学者が「十二国記で学ぶ漢文」なる本を出版するほどですから。
それはおそるべき出来事です。
ユング心理学の影響
著者は「あえてモデルといえば若い女性の読者」と語っています。
そのやさしさは、
陽子、祥夐、鈴を通じて若い読者との対話をもっとも大切にしているとのテーマの核心でしょう。
アニメ版では仮面をつけた猿が象徴的に登場します。
もちろん本文でも主人公の心理描写としての猿は出てきます。
アニメ版では少し直接的過ぎますが、
仮面「ペルソナ」と魂「ソウル」の葛藤表現は、ユング心理学を援用しているとの表現でしょう。
そもそも「十二国記」の神話的世界はユングのゆめ世界そのものなのかもしれません。
経験からうまれるリアリズム
若い女性向けのホワイトハート文庫、ましてファンタジー、確かに夢のようなふわふわした話です。
しかし差し込まれている具体的な出来事は深刻な今日的な事件の連続です。
それらは、おそらく著者の具体的な経験に基づくものでしょう。
祥夐、鈴の貧困の苦しさは、著者の困窮生活の実際の経験でしょうし、
陽子の哲学的「意志」の発見は、著者自身の精神的葛藤からの発見でしょう。
著者小野不由美さんは特異な人生経験の自信から、現代に対決しているようにみえます。
経験からうまれるリアリズムの強さが「十二国記」を名作足らしめていると言えるでしょう。
ただそれは筆者のあて推量であって、小野不由美さんは無心に対話を重ねている、というのが本当のところでしょう。
名作の多くが著者も説明できないイリュージョンであったといわれてます。
きっとそういう本たちの仲間でしょう。
いまいちど、いまは奇書、あすは名著。