中村勘三郎 日本舞踊のゆくえ(その3)
2012年12月27日中村勘三郎さんの本葬が営まれた。
哀悼の意を込めて勘三郎さん回顧の話題から。
稀代の名優、そしてクリエーターとしての中村勘三郎さんの人気に、歌舞伎という演劇の本質がよく現れていますが、それはのちほど。
まずは勘三郎賛歌から。
わたしの観た勘三郎舞台では『梅雨小袖昔八丈』の髪結新三、「与話情浮名横櫛」の「蝙蝠安」がよかった、いずれも小悪党役ですがあたり芸だったように思います。
どちらかと言うと「時代もの」より「世話もの」舞台のほうが生き生きしていたように感じました。根が江戸っこなんでしょうね、べらんめえ調です。
とくに与三郎を片岡仁左衛門、お富を坂東玉三郎、蝙蝠安を勘三郎(勘九郎)が演じた「与話情浮名横櫛」は名舞台としてつとに有名ですが、三枚目役「蝙蝠安」の勘九郎が仁左衛門、玉三郎の間に分け入って、三人芝居にしてしまった。思わずうまいなあ、とうなりました。
クリエーター中村勘三郎さんnの舞台は、なんといっても平成16年7月のニューヨークでの『夏祭浪花鑑』の上演と成功でしょう。
その成功を世間ではコクーン歌舞伎の延長線ととらえていますが、
わたしは、1996年5月の勘九郎時代、硫黄島での「俊寛」公演の自信が大きかった、とみています。
芝居としては必ずしも成功ではなかったと思いますが、太平洋という青天井、ふちなしの砂浜舞台、岬での絶唱は、勘三郎さんを歌舞伎役者として成長させました。
この困難さに比べればニューヨーク公演はまだ楽な舞台だったのではないでしょうか。
ともあれ公平でシビアなニューヨークの批評家たちが絶賛しました。
何度みても、あの幕切れのニューヨーク市警による「押し戻し」には驚きます。