映画「ザ・ハリケーン」
再放送映画で名画を見る楽しみ。
「レイジングブル」の黒人版?ハリケーンと呼ばれたボクサーの成功談と気楽に観始めると、
なんと黒人差別に基づく過酷な冤罪事件のセミドキュメンタリードラマでした。
有名な「ルービン・カーター事件」を知らなくてごめんなさい。
冤罪で終身刑ではたまらない、ただ救いは死刑でなかったこと。
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事件が風化し人びとが忘れ去っていく時間の経過への苛立ちをデンゼル・ワシントンが好演。
ロッド・スタイガー演じる州裁判所のサロキン判事との法廷シーンは秀逸。
ルービン・カーターは最終陳述でこう言います。
「この事件を通じて私には正義が行われませんでした。
いまこそ新たな証拠を十分検討して下さい。
真実から目をそらさず良心のみに従ってください。
どうか法の理念を歪曲することなく
法が目指す崇高な理想に向いてください。
私が求めるのはただひとつ、正義です。」
翻訳 宮川桜子さん
わが国でも冤罪事件の多くが裁判官と検事の癒着や法曹界の専門家同士の遠慮に起因しているとも聞きます。
なるほど冤罪の起こる経過はいずこもおなじなのでしょう、その辺の事情がよくわかる映画です。
洋の東西を問わず検事、裁判官の倫理的劣化は目を覆うばかりですが、
責めてはいけません、世の法制度とはこんなもの、裁判官も人の子、金にも権力にも弱いのです、
なにせ社会経験のない純粋培養の坊ちゃま、お嬢さんの方たちばかりの世界ですからなおさらです。
わが国のお手盛りの裁判員制度など何の機能も果たさないでしょう。上級審でどうにでもなるのです。
それにしても冤罪を晴らしたのがカナダ人たちというのも皮肉です。
外国人から見れば日本の最高裁判事の○×式国民投票、笑っちゃうでしょうね。
ご当人たちは国民に選ばれた最高裁判事と胸を張っているのですから、
ほとんど裸の王様なのですが。
法への信頼が地に落ちるはずです。(やっぱり三権分立はむつかしいか)
ルービン・"ハリケーン"・カーター事件[ウィキペデアより]
ルービン・"ハリケーン"・カーター
ルービン・カーターは1937年5月6日、ニュージャージー州のパターソンに生まれた。11歳のとき、白人男性の時計を盗んだとして、州の少年院に送られる。 数年後、カーターは少年院を脱走し軍隊に入隊。このころボクシングを始めやがて才能を発揮、二度に渡りヨーロッパのライト・ウェルター級チャンピオンとなる。リングネームを『ハリケーン』とし、ルービン・ハリケーン・カーターを名乗るようになった。 カーターはプロボクサーになる決意を固めるものの、除隊後、故郷であるパターソンに戻ったところで警察に見つかり、少年院の残りの刑期(約10ヵ月間)に服した。後に念願のプロボクサーとなり、1961年、判定勝ちによりデビューを飾り、さらに立て続けに2度のKO勝ちをおさめ、一気に注目される存在となる。その後も逮捕されるまでに40試合、KO勝ち19回(うち1ラウンドでのKO勝ちが8回)、判定勝ち8回という華々しい戦績を残した。
殺人事件[編集]
1966年6月17日、ルービン・カーターは、ニュージャージー州で3人の白人を銃で撃ち殺したとして逮捕された。凶器は発見されておらず、証言者の信用にも疑問がもたれていたが、陪審員は全員が白人であり、状況はカーターに不利であった。カーターは有罪とされ、終身刑に服する事となった。
アメリカ合衆国の反応[編集]
1974年、カーターは自伝"The Sixteenth Round"を出版し、冤罪を訴えた。これは大きな反響を呼び、当時の公民権運動と結び付き、著名人を巻き込んだ市民デモにまで発展した。[注 1] こうした流れの中、事件の証人たちが、司法取引による偽証を告白したため再審となったが、証人は再び証言を翻し、判決は前回同様の終身刑となった。 しかしその後、カーターの支援者たちにより、カーターに有利な証拠が検察により隠ぺいされていた新事実が発見された。カーターたちは、違法な拘禁を防ぐための人身保護令状の発行を裁判所に求め、1988年、最終的にカーターは自由の身となった。