『癒す」能
国を癒やす「能」
迷路〈上〉 (ワイド版岩波文庫) (2006/11/16) 野上 弥生子 商品詳細を見る |
「迷路」野上弥生子は戦争文学の傑作といわれますが、主人公ははたして菅野省三だったのでしょうか。
その長い物語の幕切れは
「とみはなにもいう暇がなかった。ふたりはやがて身に浴びる、同時に日本じゅうで浴びる爆弾の火をまえにして、はじめてわずかにまことの夫、妻として生きようとしていた。」
昭和十九年の暮れ、能狂いの江島宗通と内縁の妻とみの会話でおわります。
この戦争は負ける、日本という国は滅びる、日本という国はなくなる、と予感したとき日本民族のあかしとして「能」を後世に残そう。そう本気で考えていたのが宗通であり小説の作者弥生子さんであり夫の野上豊一郎さんであったのでしょう。
作者は昭和11年から書き始め昭和31年に筆をおいた、と回顧されています。「迷路」はある意味で実話であり、よき夫婦のこころの軌跡であるのです。
「『卒塔婆小町』をして古往今来どこの国、百歳の女をあれほど美しい女主人公にした国があるかい。耳にしたこともなければ、読んだこともない。」
江島宗通はギリシャ悲劇を念頭において能楽師万三郎に向かってこう言い切ります。
「能」は世界に比類のない芸術である、といっているのです。
さて、わたしは能楽や謡曲を愉しむ生活をしてはいますが、そうと知りつつどんなお話ができましょうか。
野上豊一郎は「能、研究と発見」の序言で、
「私は恐れている、私の此の貧しい研究は十分に根底づよく組織立てられていないために、或いは私の意向を正しく伝えることができなくはなかろうかと。」豊一郎先生にしてそう申されています。
この稿続く