minerva2050 午後の愉しみ

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「癒やす能」その4松風

「松風」は観阿弥の作といわれています。

「松風、村雨昔汐汲みなり」との記録もあり、「汐汲み」をもとに観阿弥世阿弥が改作を重ねたのだと思います。

卑しい汐汲み女の姉妹、美しく清らかでひたむきな在原行平との恋が、松風の吹く須磨の浦で語られます。

行平伝説に物語りをとり、さらに

古今和歌集」にもと歌はあり、「松風」を気高い作品にしています。

「立ち別れ 因幡(いなば)の山の峰に生ふる 待つとし聞かば いま帰り来ん」

                    古今和歌集「離別」在原行平の歌 

      

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本題に入る前に、河原ものの観阿弥世阿弥がどのようにして当代の文学的教養を身につけたか、「能」の不思議はまずここにあることを語らなければならない。

能のパトロンであった足利義満一条兼良にその教育を命じたとも云われるが少し年代が合わない。

1375年には二条良基へ参上して「藤若」の名を賜っている。

さらに1378年には二条良基世阿弥連歌を絶賛している。

これは推測でしかないが、父観阿弥の母方に楠正成の縁戚があり、観阿弥世阿弥の教養は母方から来ているのではないか。

ただ、南北朝の時代、宮廷文化、伝統的文化は混迷、混沌、カオス状態になっていたでしょうし、

その後の足利義満南北朝合一、義持、義教、義政、応仁の乱の時代、恐怖政治の時代であったが故に、文化面でルネッサンスが起こったのは皮肉な結果です。

和歌から連歌へ、能、茶の湯、生け花、作庭の発祥と「文化の下克上」状態であったといえます。

そうしたカオス状態の中での、能「松風」は「古今集」「源氏物語」を下敷きに須磨の浦の姉妹の悲恋を語る高度な文芸作品です。

恋に狂った松風が松に行平の幻影をみると、あれは松で行平ではない、と諌められます。しかし

「おろかな人はそう言うが、あの松こそ行平だ」と断言し、松風も村雨も観客も幻想の世界に入っていくのです。

「三瀬川、」絶えぬ涙の憂き瀬にも、乱るる恋の、淵はありけり。」

「あらうれしやあれに行平のお立ちあるが、松風と召されさぶらふぞや、いで参ろう。」

「・・・あれは松にてこそ候へ、行平は御入りもさぶらはぬものを」

「うたての人の言ひ事や、あの松こそ行平よ。

 たとひしばし別るるとも、待つとし聞かば帰り来んと、連ね給ひし言の葉いかに。」