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「日本の伝統音楽」の魅力

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ロラン・バルトが日本を『表徴の国』と評したのは1970年であったが、西洋人が邦楽を野蛮な「雑音」と捉えなくなったのはごく最近のことである。

雅楽を観る機会はよほどのことがないと体験できない。

安芸の宮島では雅楽舞台で年に2,3度あるが、神官による演舞で必ずしも本式というわけではない。

正式には皇居の雅楽舞台で皇室による国賓接待の観覧、年一度の演奏会などで一般人がお目にかかることはまれであろう。

源氏物語には光源氏が舞う場面があるが、優雅といえばこれ以上美しいものはないのではないだろうか。

雅楽の楽器は笙、篳篥(ひちりき)、太鼓、鉦鼓、琵琶、楽箏であるがメロディの中心は笙。

笙はもとは中国からの輸入楽器であるが、舌(リード)を変え渋い国風の音楽を発明している。

これは驚くべき発明である。

時代はくだって江戸、庶民の楽器としての三味線も輸入三線の変形であるが、一の弦を駒からはずすという大胆な工夫をしている。

弦を故意にサワリの山に触れさせ、あえて雑音化したのである。

さらに、雅楽に声楽はもちろんないが、楽器のメロディとリズム伝承に唱歌(しょうが)という発声伝承の方法をとっている。

それは能であれ舞踊であれすべての日本の伝統芸能の肝であるが、歌謡の歴史も唱歌(しょうが)からはじまったと考えてよい。

明治に日本を訪れた西洋人は浮世絵は評価しても、日本の伝統音楽だけは野蛮な「雑音」として明朗な西洋音楽とその楽器を勧めたが、

千年の昔から日本人の感性はオリジナルな音質を選択していたのである。

それが高度な美術であると認識されたのは「ノベンバー・ステップ」あたりかも知れない。