minerva2050 review

ブック、映画、音楽のレビューです。お役に立てば・・・

武原はん 日本舞踊のゆくえ(その1)

                  006_convert_20121213122821.jpg

 

 

 

 NHK教育でひさしぶりに武原はんの舞踊を観た。

 

さて、わたしは「日本舞踊のゆくえ」と題して日本舞踊について書こうとしているが、日舞に関する資料はあまりに少ない。(家元制による身体伝承の技によるのだろう)

 

そこで「武原はん」さんと「井上八千代」さん、歌舞伎「娘道成寺」の評により現代日本舞踊評に替えよう思う。

 

 

                 

武原はん

 

 

 

「武原はんは大阪古来の遊郭に育って、山村流を身につけ、独自の座敷舞を完成した。その美しさは、戦後の荒廃のなかで日本の美しさの象徴の一つとして一世を風靡した。」(この項 渡辺保著)

 

とくに昭和27年(49歳)から平成6年(91歳)まで続いた「武原はん舞の会」はあまりにも有名である。

 

あの青山次郎と結婚し2年で別れているが、その間、美術眼を磨いている。

 

昭和14年には高浜虚子に師事、俳号「はん女」。

 

クリックで、おそらく平成3年4月30日国立大劇場での地唄「雪」の舞台。

(ほとんど見ることが出来なかったはんさんが見れる、ありがたい時代です。)

 

 

「東京では久々の上演で、例の白地に”まきのり”の着付。私には今回の舞そのものよりも、瞼にやきついている数々のはんの「雪」が、そして「雪」の舞台の軌跡が浮かび、しみじみと感慨深かった」評 (如月青子  「武原はん一代」より)

 

 

       地唄「雪」

 

     花も雪も 払へば清き袂かな

     ほんに昔のむかしのことよ

     わが待つ人も我を待ちけん

     鴛鴦の雄鳥にもの思ひ

     羽の凍る衾に鳴く音もさぞな

     さなきだに心も遠き夜半の鐘

     聞くも淋しきひとり寝の

     枕に響く霰の音も

     もしやといつそせきかねて

     落つる涙のつららより

     つらき命は惜しからねども

     恋しき人は罪深く

     思はぬことのかなしさに

     捨てた憂き 捨てた憂き世の山葛

 

 

 

座敷舞は上方舞ともいうがその発祥は遊郭である。

 

能、歌舞伎の舞踊は男性であるが、座敷舞は舞い手が女性であり衣裳はきものである。

 

武原はんは生来の美貌と体軀を十分に意識していた人であった。

 

加えて歌麿の浮世絵、文楽女形からきものの様式美を学び、独自の座敷舞を完成させた。

 

それは究極の日本女性姿美の追求であり、座敷舞の完成を目指した。

 

結果、武原はんは戦後日本女性の象徴になった。

 

不幸は、彼女の舞踊が「武原はん」生来独自の芸であり伝統となることはなかったことである。

 

 

ふたたび、地唄「雪」を聴いてみよう、哀しい唄である。

 

「武原はん」は95歳で亡くなった、「捨てた憂き 捨てた憂き世の山葛」

 

そして、すべてがこの世から消えた。

 

 「秋の日の一代を舞う嬉しさよ」 はん女

 

 

 

 

 

           「笑話 日本舞踊をみる」

 

      

年に2、3回は日本舞踊の舞台を観る機会があります。

 

各流派ごとのおさらい会ですから、どの会も大ホールを借り切り、朝の10時から夜の8時ごろまで入門したての新弟子さんたちから中堅クラス、師範クラスと延々と一日中続き、最後に家元が見本を示すという段取りです。

 

ですから本格的な日舞鑑賞となりますと午後6時ごろから会場に入ればいいのですが、そうもいきません。

 

親戚の娘さんが朝11時ころには舞台に出ます、と聞けば観て手もたたいておかねばなりませんし、ご近所の奥さんが69番、つまり午後2時ごろに出演となれば観ておかねば道で出会ったときの挨拶に困るので席を外せません。

 

 

舞台順序はじつに正確にその流派の序列の逆順ですから、おおむね、結局、年齢順ということですので、午後5時台ともなりますとほとんど足腰の弱ったお年寄りの舞台となりますが、これも我慢をしなければなりません。

 

 

なんとかひとやま越えまして、午後6時くらいになりますといよいよ名取さんたちの舞台となり、大道具、小道具が凝った仕掛けのもの、つまり金がかりのものになりますのでこれも見逃せません。

 

そして8時過ぎいよいよお家元が舞い納めをします。

 

もちろん、さすが家元の芸というものをさらりと演じられ「よくみて勉強するのよ」

 

と見得を切ってお開きかな、と思うとお家元のお家元なるご婦人が舞台にあらわれ

 

「きょうはようござんした」と長々挨拶されて、

 

時計を見ると9時過ぎ、お客のほうが疲れきってしまうという行事が年に2,3度あるのです。

 

 

 

 

30STM ジャレット・レト監督ドキュメンタリー「ARTIFACT」

2008年夏、新たな創作の場を求めて動き始めた

 

サーティセカンズ・トゥ・マースは

 

所属レコード会社EMIから契約不履行で提訴された。

 

訴訟額3000万ドル、30STMに30ミリオン

 

だが彼らは屈することなく新譜の政策に着手

 

中心人物ジャレット・レトは録音をつづけながら

 

創造と闘いの記録を映像作品として残した。

 

バーソロミュー・カミンズの名で

 

 

音楽ファンのみならずあらゆる分野のクリエーターたちに衝撃をあたえるドキュメンタリー「ARTIFACT」

 

ある意味で21世紀における象徴的歴史事件ともいえる。

 

しかし残念ながら、映画は日本では公開されなかったし、DVDも発売されていない。

 

放映したWOWOWは番組をこう紹介している。

 

ジャレッド・レト

 

2013年に出演した映画『ダラス・バイヤーズクラブ』での演技が絶賛され、2014年の第86回アカデミー賞助演男優賞のほか、数々の映画賞を獲得したジャレッド・レト。一方で、ジャレッドはロック・バンド、サーティー・セカンズ・トゥ・マーズを率い精力的に活動中だ。3rdアルバム『ディス・イズ・ウォー』発表後の2009年から行なったワールドツアーは60カ国、311公演に及びギネス世界記録に認定。さらに2013年に発表した最新作も全米トップ10のヒットとなり、ミュージシャンとしても成功を収めている。

しかし、成功の陰には苦闘の歴史があった。契約枚数未消化で所属レコード会社から2008年に起こされた3000万ドルの巨額訴訟。その重圧のなかで完成させた『ディス・イズ・ウォー』のレコーディング過程を追い、自ら監督したドキュメンタリーが本作だ。ジャレッドとバンドの実像、そして音楽業界の裏事情もうかがえる興味深い作品である。

 

映画の中でジャレッド・レトはこう言っている。

 

1.これは芸術家と商業主義の戦いの記録である。

 

2.音楽の発表媒体がCD販売の形態からネット販売に移り、レコード業界が瀕死に直面し、抱える音楽家からの搾取が激しくなっている。

 

3.苦境のレコード企業を業界に通じない資本家たちが買収売却で利益を上げようと、まさにハゲタカファンドなみに食いつき、素人集団化している。

 

4.企業のお抱え弁護士たちが法律に疎い芸術家に訴訟を仕掛けて脅すというアメリカ的風景がある。

 

話を聞けば、

 

ベニスの商人」なみのえげつない話と聞こえるし、

 

はたまた、江戸時代の女衒がよくする足抜け女郎への脅し文句とも聞こえる。

 

ジャレッド・レトはこう言う。

 

こんな社会構造おかしくはないか?

 

『ディス・イズ・ウォー』

 

ただ残念なのはラスト、EMIとの和解、和解内容が示されないまま映画は終わっていること。

 

さいわい30STMが才能ある若者たちゆえに勝利できた。

 

あたかも18世紀末のウイーン、モーツァルトハイドンベートーヴェン登場の音楽世界を彷彿とさせる。

 

衝撃的な名画である。

 

しかし、この映画の本当の肝はわずかに語られる、ジャレッド・レト、シャノン・レト、 トモ・ミレセヴィックの少年時代の思い出である。

 

レト兄弟はわずか17歳の母親、それも当時のピッピーらしきコミューン仲間の子として誕生している。

 

まわりには音楽があふれていたが、おそらく貧しい母子家庭で多くの差別を受けてきたと思われる。

 

だから弱い者がいじめられる社会を見過ごせない鋭敏で過激な感性がこんな映画を作らせる。

 

兄のシャノン・レトは大の学校嫌い、ドラムも独学で習得している。

 

学校のない世界こそいろんな可能性がある、といっている。

 

レト兄弟の考え方は「脱学校社会」のイヴァン・イリイチの思想に近い。

 

リード・ギター、バイオリン、キーボードの トモ・ミレセヴィックはクラシック畑からの参加、ほぼ音楽オタク。

 

多くの若者が30STMに共感するのは音楽ばかりではなく自由なその生き方に共鳴するからであろう。

 

 

 

レトが第86回アカデミー賞助演男優賞を受賞した「ダラスバイヤーズクラブ」は「ARTIFACT」の延長線にある。

 

 

ダラス・バイヤーズクラブ [DVD] ダラス・バイヤーズクラブ [DVD]
(2014/09/02)
マシュー・マコノヒージャレッド・レト

商品詳細を見る

 

 

 

 

 

「永遠のマリア・カラス」

地方に住んでいますとなにせ会場が遠いのと、オペラ公演を観にけるほど経済的余裕はありません(こっちが本音か)ので

 

どうしても映画館でのライブビューイングかテレビ放送で楽しむことになります。

 

それにしても最近震えるほどの感動を受ける舞台に接していません。

 

 

永遠のマリア・カラス [DVD] 永遠のマリア・カラス [DVD]
(2005/07/06)
ファニー・アルダンジェレミー・アイアンズ

商品詳細を見る

 

 

 

では映画「永遠のマリア・カラス」はどうでしょう。

 

話はこうであってほしいという監督・脚本:フランコ・ゼフィレッリのフィクション、

 

晩年のカラスをよく似た女優が歌はクチパクで演じるといういかがわしい映画のはずが、

 

カラスの歌声が聞こえ始めると女優のはずが本物のカラスに見えてくるから不思議です。

 

舞台で演じたことのないカルメンの場面では完全にカラスのオペラになっています。

 

まさにディーバですね、

 

これはゼフィレッリの想像力の賜物です。

 

ほとんどが嘘でも声さえ本物ならカラスはよみがえる、観客に感動をあたえられるという確信だったのでしょう。

 

実際、映画は期待通り成功を収めたのです。

 

 

結局、今日のオペラに飽き足りなければ、カラスのレコードを聴くことになります。

 

 

ただ、ドラマではまるで日本公演の失敗が引退の理由のようになっていますが、1974年にはエネルギーのほとんどをアメリカ公演に費やしています。ゼフィレッリのアジア差別には不愉快なシーンが多くあります。

 

 

 

 

「磁力と重力の発見」山本義隆

磁力と重力の発見

 

 

 

 最近の理科系を目指す大学生、高校生、あるいは予備校生にそのこころざしの動機を尋ねると、

 

山本義隆さんの「磁力と重力の発見」を読んで物理学や数学の面白さを知ったから、と答える者が何人かいた。

 

驚くと同時に深い感銘を受けた。

 

「へえ~まるで現代の吉田松陰先生や、著者冥利に尽きるやろ」と

 

そのうれしさに10年前の本を持ち出してあらためて再読した。

 

この「磁力と重力の発見」三巻本は別巻の「熱学思想の史的展開 熱とエントロピー 」合わせておそらく歴史に残る名著となろう。

 

わたくしの個人的読書経験では、

 

世界は違うが、プルーストの「失われた時を求めて」、ドナルド・キーンの「日本文学史」、塩野七生の「ローマ人の物語」読後の戦慄に近い興奮があった。

 

若い人に記憶してほしいことは、本の内容もさることながら

 

わたくしは現代の吉田松陰と例えたが、実際山本義隆氏は28歳で松陰同様社会的に抹殺され、なおかつ62歳で復活しこころざしを遂げたことである。

 

歌人道浦母都子さんは2003年11月の朝日新聞書評で『磁力と重力の発見』毎日出版文化賞受賞の印象をこうあらわした。

 

 

 その本をまだ読んではいない。

 それなのに、光沢のある白いカバーに包まれた三冊の本を、机の上に置いただけで、心安らぐ気がした。ブラインドを透かして机上に射し込む秋の光が、ゆらゆらと揺れ、白い三冊の本が海に浮かぶヨットの帆のようにさえ感じられた。

 本の名は、山本義隆著『磁力と重力の発見』(みすず書房)。「古代・中世」「ルネサンス」「近代の始まり」の計三巻である。

 書名を目にしたのは新聞の広告欄だった。山本義隆著とあったので、ふっと気になり、切り抜きをしておいた。

 しばらくして、書評を読み、あらためて確信をした。そして、何とかして、あの本を手に入れなくては、と何軒かの書店を訪ねた。

 探しあぐねて、出版社に直接申し込み、宅配便で届いたのが、手元の三冊である。

 山本義隆なる、なつかしい著者名は、私の記憶を三十五年前へとさかのばらせてくれた。

 

                   ヨット

 

 

 

そして著者本人は、序文でこう書いている。

 

もとより著者は、物理学の教育のみを受けた一介の物理の教師にすぎず、それがこのようなことを言えば大風呂敷のそしりは免れないし、そもそも本書の執筆それ自体が、僭越をとおり越してほとんど無免許運転にも近い無謀であることは重々承知している。

 

さて、本文である。

 

「磁石や琥珀がものを引きつける」という不思議な現象を人々はどう説明したのか、

 

ただただ磁力と重力について紀元前ギリシャ時代から十七世紀まで歴史はどう語ってきたのか、

 

丹念に執拗に探っていく、

 

それはまるで広い砂浜で「磁石」という砂粒を探すという気の遠くなる作業であったろう。

 

すると「磁石」という砂粒ばかりか、砂浜の形や風紋が鮮やかに見えてきた、ということなのだろうか。

 

結局のところまったく新しい西洋通史、わけても「哲学史」「宗教史」を語ることになってしまったのである。

 

例えば、「暗黒の中世史」と呼ばれた時代さえ異端と呼ばれた魔術師や技術者たち、歴史に登場しないいわゆるアウトサイダーの証言を集めれば、「光ある中世史」によみがるという次第である。

 

一介の物理の教師がフリードリヒ2世の「平和思想」を、トマスアクィナスの「スコラ哲学」の核心を、実に正確に簡潔に語るのである。

 

クライマックスは第3巻、ケプラーニュートンの発見の意外な秘密をを語ることになる。

 

恐るべき博識というべきである。

 

 

そもそも山本先生はどうしてこんな研究にのめりこむようになったのか?

 

ケプラーを読んでいると「重力」を論じるにあたってしきりに「磁力」「磁力」とくり返されているのにゆきあたり、非常に奇異な気がした。

 

通説のようにニュートンガリレオデカルトとひとまとめに機械論哲学の提唱者としてくくるのは無理があるのではないか、

 

という疑問に自問自答しようとしたのだと言う。

 

その間なんと20年、ラテン語を学び、国会図書館に通い、神田で古書を買い漁り、独学した。

 

そして、これまで20年間にわたって抱き続けてきた疑問にたいして私なりの回答を与えることができたと思う、と結んでいる。

 

小林秀雄が「本居宣長」でいう学者とはこういう人を呼ぶのであろう、と感嘆した。

 

 

 

 

 

映画「レヴェナント」タルコフスキーへのオマージュ

 

 

アカデミー主演男優賞受賞、アカデミー監督賞の2年連続受賞、3年連続の撮影賞受賞、本来なら作品賞も獲るべき2015年最高傑作、この話題の映画について語られていないレビューです。

 

イニャリトゥ監督ほど過去の名監督研究に熱心な監督はいません。

前々作の「ビューティフル」では黒沢監督の「生きる」に刺激を受けたと語っていました。

前作の「バードマン」では全編ワンカットかと見紛うほどの長回し

長回しの達人としてはヒッチコックデ・パルマが有名ですがこんなワンカットは前代未聞。

イニャリトゥ監督やってみたかったのでしょうね、難しい作業だったでしょうに。もちろん物語の展開、その緊張感の持続で大成功をおさめたのです。

日本では三谷幸喜さんがテレビドラマで2本やっています。

 

では「レヴェナント」での挑戦はなに?

もちろんル・ルベツキの美しい映像、ディカプリオの怪演は話題ですが、

わたしにはタルコフスキーへのオマージュと見えたのです。

まずオープニングの美しいせせらぎ、たしかタルコフスキーの「惑星ソラリス」がこんな映像でした。林の立木は「ぼくの村は戦場だった」の森のイメージ。

主人公グラスの妻を回想するシーン、妻の胸から小鳥が飛び立ちますが、タルコフスキーの「ノスタルジア」でマリア像から鳥の群が飛び出すシーンがあります。協会の廃墟は「ノスタルジア」の廃墟を思い出させます。

極めつきはタルコフスキーならの空中浮遊シーン。

まさか、とは思いましたが、グラスの妻が空中浮遊しています。

いま一度DVDで確認してみてください。

あえて幻想的なカットをモンタージュすることで作品に深みを与えている、イニャリトゥ監督の高い映画技術の証左でしょう。

 

「レヴェナント」の挑戦、もう一つは「インディアンの誇り」です。

ヨーロッパ人がアメリカを征服する前、先住民としてのインディアンは600万人いたといわれていますが、現在は270万人前後です。

先住民インディアンの減少はヨーロッパ人との土地をめぐる戦争にもよりますが「見えない弾丸」といわれるヨーロッパ人の持ち込んだ病原菌による病死が多かったといわれています。

舞台は1823年のアメリカ北西部、この年「モンロー宣言」が出て、先住民抑圧が合法化された象徴的な年です。

映画ではステレオタイプの野蛮なインディアンとして描いていません。堂々とした誇り高いインディアンたちです。

映画の中ほどで現れるインディアン女性はポカホンタス像に似ています。

この映画の後では、もはや従来の西部劇は作られないでしょう。

インディアンをネイティブアメリカンと呼称しますが正しくは「ファーストネイション」でしょうし、インディアンは誇り高い呼称でもあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナイトマネージャー」BBCドラマ化への期待

ル・カレのスパイ小説、『ナイト・マネジャー』がBBCでドラマ化されました。

アマゾンプライムビデオで全8話が視聴できます。

 

 

ナイトマネージャー

 

 

巨匠ル・カレの作品の多くは最高のスタッフ、俳優で映画化されそれぞれ傑作と評判は高い。

寒い国から帰ったスパイ(1965年)

ロシア・ハウス(1990年)

テイラー・オブ・パナマ(2001年)

ナイロビの蜂(2005年)

裏切りのサーカス(2011年)

 

しかしそれでも、どの映画もル・カレ小説の濃密かつ気品のある文章世界が表現できているとはいえない。

 

ル・カレファンの高望みなのだろうが、とても映画2時間半という制限の中で実現できるはずがなかったのである。

 

さいわい今回、BBCのドラマ『ナイト・マネジャー』は8話構成、物語もル・カレ小説のなかではシンプル。

 

映画化された過去の作品以上にル・カレの世界が描かれているのでおおいに期待していい。

 

 

 

 

 

スイスの名門ホテルのナイト・マネジャーであるジョナサンは、吹雪の夜に訪れた武器商人のローパー一行を見て、忘れ難い過去を思い出した。ローパーこそ、彼が愛した女性を死に追いやる元凶となった男だったのだ。やがて、イギリスの情報部から独立した新エージェンシーがジョナサンの存在を知り、ローパーの武器取引の証拠を握るべく彼をリクルートした。ジョナサンは復讐に燃える! 巨匠が現代の巨悪を描破する傑作。

 

 The Hollywood Reporterによると、『ナイト・マネジャー』ドラマ化を手掛けるのは、映画『誰よりも狙われた男』を製作したインク・ファクトリー。『ハンナ』のデヴィッド・ファーが脚本を担当する。リミテッド・シリーズとのことだが、実際に何話構成になるのか、詳細は不明。シリーズはBBCとの連携で製作され、イギリス側では同局での放送が決まっているとのことだが、アメリカ側の放送局は決まっていないという。

 

 カレが1993年に発表した『ナイト・マネジャー』は、ホテルのナイト・マネジャーとなった元兵士ジョナサン・パイクが主人公。パイクと、彼の愛する女性を死に追いやった武器商人ローバーとの戦いを描く。Entertainment Weeklyでは、トムがパイク、ヒューがローバーを演じると伝えている。原作にはパイクの相手役となる女性ソフィーが登場するが、他のキャストや監督を誰が務めるかなどは不明だ。

 

 イギリスの人気俳優2人がテレビドラマで火花を飛ばす。なんとも豪華な顔合わせだが、日本でのリリースも期待したいところだ。

 

 カレの作品はこれまでも、日本では10月17日に公開予定の『誰よりも狙われた男』や『裏切りのサーカス』(小説のタイトルは『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』)、『ナイロビの蜂』など、多くの作品が映画化されている。

EU離脱を考える「ヘーゲルから考える私たちの居場所」山内廣隆

ヘーゲルから考える私たちの居場所

 

 

ヘーゲルのカント的国家連合批判」

 

2016年6月24日この書評を書いている。

おりしも今日、イギリス国民がEU離脱を選択した歴史的な日となった。 

                           

.イギリス国民がEU離脱を選択した理由は総じていえば「主権」の回復を求めたということであろう。

 

 それはまさしく本書でヘーゲルのいうところの「自立した国家こそ『地上での絶対的威力』であり、国家同士の関係は基本的には排除関係である」に当たる。

 

経済的理由から国民は残留を選択すると信じていたキャメロン首相は国民の意志を完全に読み違え辞任に追い込まれた。

 

「国の自立性において、現実的精神である自独存在は現に存在するものとなっているのであるから、このように自立していることが国民第一の自由であり、最高の栄誉である」は勝利した「離脱派」の言葉とさえ思われておもしろい。

                

.カントの提唱する平和的国際体制、諸国家の連合は理想であるが、ヘーゲル「総じてつねに特殊な主権的意志に基づいており、それゆえ偶然性にとりつかれている」と批判する。そこにはヘーゲルのきびしい人間観察、歴史認識が見てとれる。           

 

.しかし本書の結論は、ルートヴィッヒ・ジープの

ヘーゲルの歴史哲学をすべて採用することはできない。とくにわれわれは、理性と自由の必然的進歩というヘーゲルの理論に対しては懐疑的になっている」を引用し、曖昧で日和見的見解で終えているのは残念である。

 

EU加盟国が自国の主権を回復できないと判断すれば、イギリスに次いでEU離脱のドミノ化が現実のものとなろう。