プロムジカマンドリンアンサンブル「マンドリンに魅せられる」
U2、あの独特のピッキングを彷彿とさせるマンドリンのトレロモ「細川ガラシャ夫人」は1901年に発表された古典的名曲ですが、その現代性に驚きました。
最近、縁あってマンドリン音楽を聴く機会が2度ありました。
ひとつは山口大学マンドリンクラブ創立55周年記念演奏会(2014.5.10)
もひとつはプロムジカマンドリンアンサンブル第35回定期演奏会(2014.6.14)です。
本気モードでマンドリンの音色を聴いたのは初めてでしたが、
クラッシク音楽とはひと味違う官能的な音色にすっかり魅了されました。
山口大学マンドリンクラブでは、例えば劇音「細川ガラシャ夫人」(鈴木静一作曲)が平家琵琶を思わせ、日本の古楽との相性の良さを示していました。わたしは恥ずかしながらわが国にマンドリンに情熱をそそぐ作曲家が多く存在することさえ知りませんでした。
当日の演奏プログラムは全曲日本人作曲家による作品でしたが、どうもこのあたりが山口大学マンドリンクラブの55年という伝統と誇りなのでしょう。
いっぽう広島ではアストル・ピアソラのバンドネオンタンゴをリリカルにそして痛快に歌い上げ観客を魅了しました。マンドリンのジャンルを超える融通無碍な楽器特性に感心しました、ギターアンサンブルではこうはいかないでしょう。
マンドリン、いわゆる西洋の撥弦楽器(はつげんがっき)の歴史はリュートに始まるといわれています。
「一般にルネッサンスは15世紀フィレンツェにはじまるといわれるが13世紀フォレルが発祥である」、
と述べて一枚の絵「リュートを演奏する少女」を象徴として示しました。
いうまでもなく、当時リュートは中東イスラム文化圏からの輸入品か、あるいは十字軍の戦利品で,あったでしょうから、カトリック文化全盛の時代にあってはいわば禁制品といってもいいでしょう。
ですから、西洋の音楽史に撥弦楽器(はつげんがっき)が登場することはありません、せいぜいチェンバロくらいです。
中世から近代までの西洋音楽世界は教会音楽が圧倒的権威で支配し続けました。
いわく、教会音楽は「天上の音楽」であり、庶民の音楽は「世俗音楽」と蔑視され続けます。
そんな中、「世俗音楽」楽器リュートが普及するのはベネチア、フォレル、フィレンツェの商業都市からです。
ローマ法王庁とは一線を画す新しい世界観をリュートに託したのでしょう。
リュートといえば、有名なフェルメールの「リュートを抱く少女」があります。
オランダは当時スペインから多数のユダヤ難民を受け入れるなど、異教に寛容なな市民社会が形成されつつあった時代です。偶然とはいえ、リュートはここでも象徴的な楽器であったといえます。
撥弦楽器マンドリン、ギターの変遷の歴史研究は暗黒時代といわれる西洋中世史を、意外にも明るく見直させるかも知れない、そんなことを考えながら美しい音色に聴きほれていました。
日本人と撥弦楽器の相性がよほどいいのでしょう、古くは琵琶、琴から三味線、はては大正琴まで。
今日ではピアノのお稽古は日常茶飯事、若い人たちがマンドリンに魅せられるのもうなずけます。
欧米上流社会に残る撥弦楽器のタブーに囚われることがないことも日本だからでしょう。
音楽のムーブメントはたった一曲の名曲から起こります、いま世界一のマンドリン王国日本、期待していいでしょう。